Sの思い

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素晴らしき哉、人生!(1946年)

素晴らしき哉、人生!(1946年)


この映画の物語は、

ジョージという事ある毎の選択で自分の欲望より人のことを優先してきた人間が、ある惨事によって家族を守るために自殺を試みた時、天使が舞い降り、自分が産まれてこなかった世界を見て回るというもの。

そこには、自分が助けたはずの人間達が、浮浪者になり、警察に捕まり、亡くなっていた。結婚し、子供が3人いたはずが、妻は独身で閉塞感を漂わせていた。

それを見て回ったジョージは、自分がそこにいる素晴らしさと生きる素晴らしさを味わい、自分の人生をまた歩み始める。最後に、今まで助けた人たちのおかげで惨事も収集し、多くの人たちと家族に囲まれたところでこの映画は終わる。

それを見てる時、僕は正直綺麗事の映画だなと思った。そこに彼がいなくてもそんな悲惨なことにはならない可能性も十分ある。それに、弟が遊んでる最中に川に落ちてしまいそれを助けたはずなのに死んでいるというシーンがあるのだけれど、それを見た時にそもそもジョージがいなければそこにいないのだから溺れもせず死んでもいないじゃないかとちょっと斜めからこの映画を見ていた。そんな風に穿った目で映画を見ていたのだけれども、最後は感動して涙が溢れてきた。

映画を観終わって余韻に浸ってしばらくぼーっと浸っている時、ふと人を助けた・幸せにした分(感謝された分)だけ自分の生きた意味を実感できるんだろーなと確信めいたような頭からとんかちで殴られたような衝撃を受けた。

僕はずっと生きる意味が正直わからなかった。僕が今いなくなっても何も変わらない。多少寂しさを覚えてくれる人はいるかもしれないが、傷はだんだんと癒えていきまた彼らの日常に戻る。地球から見れば僕たちが蟻が一匹死んでもなんとも思わないように、ごくごく小さな存在でしかない。どんな偉業を成し遂げようが、その人がいなかったから世界が回らないわけでもないし、違った未来が来るだけだろう。もしかしたら、違う人間が同じことをしていたかもしれない。そう考えると生きるって虚しいな、そんなに意味って無いんじゃないかなという疑問をずっと抱えていた。それでも、母を悲しませたくないな、お世話になった人に申し訳ないな、先祖に申し訳ないなという気持ちが僕を生かしてくれていた。これなかったら僕はどこかで自殺という道を選んでいたかもしれないなと思っている。

今でもこの事実は変わらないと思っています。けど、少なくとも自分が人のためと思ってしたことで、人に感謝されたならば、それは自分が生きていて良かったと思える確かな1つの材料になるんだなと。僕がいなくてももしかしたらその人達は十分やっていけたかもしれないけど、やっていけなかったかもしれない。でも、僕がしたことで可能性が可能性ではなく実現したことになる。そう思えたら生きていて良かったなと思えるなと。

僕は本当にこのことでこの27年間悩んでいました。こんなことを考えられる余裕がある時点でかなり豊かで幸せということを頭では理解してるが、身体に落ちてこなかった。心の声「だってそういう環境に生まれてきてしまったのだもの!」かなりわがまま(笑)

なんとなく、気持ちを共有した気持ちになりたかったのと、もし同じ悩みを持ってる人がいたならば、その人に何か与えるものがあれば良いなとブログに上げてみました。

今後も自分が感動したことや衝撃を受けたこと、気持ちを共有した気持ちになりたいときに書いていこうと思います。